2008年 08月 20日
金がすべてじゃない
|
ようやく念願の雨です。
ざーっとした夕立ですけど、恵みの雨です。
さて、オリンピックの体操競技が終了しました。
僕にとってはこれでオリンピックも終了したようなもんです。
思えば高校生だった僕は、アトランタオリンピックの体操競技に釘付けになりました。
「すげぇ!」と。
当時、日本を引っ張るのは畠田と田中光。ヒカルエックスというネーミングセンスナッシングのそんな技にも
「すげぇ!」
と感動していたわけです。
世界ではネモフとシェルボ、そして金メダルは笑わない男「李小双」。
記憶力の悪い僕でさえ、李小双が鉄棒で着地を決めた瞬間のあの「笑顔」は強烈に記憶に残っています。
人知れず、床の上水平(手だけで支えて、体を宙に浮かせて静止する力技)に憧れ、ちょっと練習したりもしてみました。
もちろんできませんけどね。
そんな「憧れ」を抱いた僕が大学に入り、その門を叩いたのが
体操部
まさに必然ですね。
必然的運命に導かれて、勉強もせずに体操に熱中したわけですが、今でも全く後悔はありません。
実に楽しかった。
中高と部活もロクにせずに勉強三昧だった僕でも、「青春といえばスポーツでしょ」みたいな想いは人一倍ありました。体操部に入ったことで、そんな置き去りにされそうだった青春を取り戻し、そして、なによりあの「技ができたときの感動」にシビれまくってしまっていたわけです。
やってみたらできた。
そうではないのです。
コツコツを練習をつみ、そしてある日、できるようになるのです。
忘れもしない7月1日。初めて鉄棒で蹴上がりができた記念日です。
オリンピックとは技そのもののレベルが違うけれど、あの瞬間の感動は自分の中では金メダルにもひけをとらないものです。
大学1年生の冬の試合で、平行棒の審判の人に褒められたことがあります。
「実にいい演技だった」
と。
技なんてほとんどできませんし、点数もとても公開できるものではありませんが、褒められたのです。「初心者の見本の演技だった」ということで。
どういうことかというと、
無理やりできない技をやるのではなく、できる技を綺麗にやる。膝を曲げない。足先を注意する。それだけのことです。それが当時の僕にはできていた。
点数だけにこだわれば、無理やりにでも難しい技を取り入れた方がいい。初心者は、それが点数に如実に反映します。だから初心者の多くは、汚くても点数の出る演技をしがちです。
僕は難しい技はしないから点数は悪かったけど、審判の人の印象はすごく良かった。
せっかく得られたその評価をもっと大事にしておけば良かったのですが、後々には点数にこだわり過ぎて、結果、綺麗な体操からはズれてしまったのは、今でも反省すべきところです。ああ、もう一度やり直したい。
今回の冨田選手の演技、実に「美しい」演技でした。
どの演技も。
難しい技をどんどん取り入れれば点数が伸びる今の評価基準にあっては、思うように点数の伸びない冨田の演技ですが、他のどんなメダリストよりも輝いてみえたのは確かです。
メダルなんか本当にどうでもいいじゃないか。
そう思わせてくれる演技の数々でした。
金メダルよりもよっぽど価値のある演技がそこにありました。
評価は点数やメダルの色が決めるのではなく、観客が決めるものだと、心底思わされました。
「美しい体操」にこだわり、自分のスタイルを貫き通した冨田選手に、心から拍手を。
そして、この全身に燃えたぎる「体操欲(体操したくてたまらない欲求)」を誰か冷まして。
ざーっとした夕立ですけど、恵みの雨です。
さて、オリンピックの体操競技が終了しました。
僕にとってはこれでオリンピックも終了したようなもんです。
思えば高校生だった僕は、アトランタオリンピックの体操競技に釘付けになりました。
「すげぇ!」と。
当時、日本を引っ張るのは畠田と田中光。ヒカルエックスというネーミングセンスナッシングのそんな技にも
「すげぇ!」
と感動していたわけです。
世界ではネモフとシェルボ、そして金メダルは笑わない男「李小双」。
記憶力の悪い僕でさえ、李小双が鉄棒で着地を決めた瞬間のあの「笑顔」は強烈に記憶に残っています。
人知れず、床の上水平(手だけで支えて、体を宙に浮かせて静止する力技)に憧れ、ちょっと練習したりもしてみました。
もちろんできませんけどね。
そんな「憧れ」を抱いた僕が大学に入り、その門を叩いたのが
体操部
まさに必然ですね。
必然的運命に導かれて、勉強もせずに体操に熱中したわけですが、今でも全く後悔はありません。
実に楽しかった。
中高と部活もロクにせずに勉強三昧だった僕でも、「青春といえばスポーツでしょ」みたいな想いは人一倍ありました。体操部に入ったことで、そんな置き去りにされそうだった青春を取り戻し、そして、なによりあの「技ができたときの感動」にシビれまくってしまっていたわけです。
やってみたらできた。
そうではないのです。
コツコツを練習をつみ、そしてある日、できるようになるのです。
忘れもしない7月1日。初めて鉄棒で蹴上がりができた記念日です。
オリンピックとは技そのもののレベルが違うけれど、あの瞬間の感動は自分の中では金メダルにもひけをとらないものです。
大学1年生の冬の試合で、平行棒の審判の人に褒められたことがあります。
「実にいい演技だった」
と。
技なんてほとんどできませんし、点数もとても公開できるものではありませんが、褒められたのです。「初心者の見本の演技だった」ということで。
どういうことかというと、
無理やりできない技をやるのではなく、できる技を綺麗にやる。膝を曲げない。足先を注意する。それだけのことです。それが当時の僕にはできていた。
点数だけにこだわれば、無理やりにでも難しい技を取り入れた方がいい。初心者は、それが点数に如実に反映します。だから初心者の多くは、汚くても点数の出る演技をしがちです。
僕は難しい技はしないから点数は悪かったけど、審判の人の印象はすごく良かった。
せっかく得られたその評価をもっと大事にしておけば良かったのですが、後々には点数にこだわり過ぎて、結果、綺麗な体操からはズれてしまったのは、今でも反省すべきところです。ああ、もう一度やり直したい。
今回の冨田選手の演技、実に「美しい」演技でした。
どの演技も。
難しい技をどんどん取り入れれば点数が伸びる今の評価基準にあっては、思うように点数の伸びない冨田の演技ですが、他のどんなメダリストよりも輝いてみえたのは確かです。
メダルなんか本当にどうでもいいじゃないか。
そう思わせてくれる演技の数々でした。
金メダルよりもよっぽど価値のある演技がそこにありました。
評価は点数やメダルの色が決めるのではなく、観客が決めるものだと、心底思わされました。
「美しい体操」にこだわり、自分のスタイルを貫き通した冨田選手に、心から拍手を。
そして、この全身に燃えたぎる「体操欲(体操したくてたまらない欲求)」を誰か冷まして。
by uno_daisuke513
| 2008-08-20 14:00
|
Comments(0)