6/9(2日目)
朝目覚める。昨日の運悪い感じを引きずらず、さぁ気分を一転してがんばろー!って思って携帯見たら、充電が寝るまえから進んでいないことにショックを受ける。低速充電のままで、充電完了まであと7時間とかふざけた表示が!まだ67%とかどういうこと?!いかん、完全に昨日からの何かを引きずってますよね。追い打ちをかけるかのように、珍しく胃が痛い・・・。緊張からか、昨日の夜の何かがまずかったのか、胃がかなりキリキリ痛む。普段こんな胃が痛むことないんだけど、ちょっと朝食どころではない。なんだ、この引きずりっぷり。これは、液体がパンツに乗り移ってしまったせいであり、パンツを捨てればこの悪運を退散できるのではないかと一瞬思ったけど、荷物軽減のためにパンツはもう一枚しか持ってきていないわけであり、現実的に考えてそんなことするのはやめた。
とにかく農家へ向かおう。胃の痛むまま、足を進める。途中、朝ごはん屋さんの前も何件か通り、台湾朝ごはんの美味しさを知っている僕はつい足を止めたが、これ以上胃が痛んだらやばいと思い、何も食べれずにバス停へ向かった。
バス停は直射日光がきつい。そして、台湾のバスは時間通りこない。なので、いつ来るか分からないバスを、常にバス停の脇でスタンバイしていなければならない。背中のリュックには、農家への手土産が入っている。しかもこんな暑いって思ってなかったから、こともあろうにチョコが3つも入っている。なんというミスチョイス。チョコを守るため、直射日光を僕が体を張って存分に受け、バスを待った。15分くらい遅れてバスがきた。
そして、バスの中はクーラーがガンガンに効いてて、寒い。台湾あるある。バスに揺られること1時間半くらいかな。寒いのと、胃が痛くてどれくらい乗ったか忘れた。竹東という場所で乗り換えするために降りた。
この竹東。地方都市ではあるが、すごい市場の活気だった。なりゆきで訪れた台湾の地方都市はいくつかあるが、羅東にしても、埔里にしても、地方なのに意外なくらい賑やかで活気があった。僕としては、首都の台北より実は好きだ。ここ竹東も、まさに台湾に来ましたって感じ。ここにきて、ようやく胃の痛みがやや収まり、ワンタンスープみたいなのを飲んだ。めっちゃ旨い。
お昼は持参しますって言ってあるから、今はあんまり食べたくないけど、コンビニで台湾風おにぎりを購入、いよいよ農家へ向かう。
竹東のバス停で乗り換え、農家のある峨眉へ。
やはり緊張する。
情熱と勢いでここまで来たが、当然それなりに緊張するわけである。大学時代から数々の農家にお邪魔し、アフリカの農村でも半年間テントはって暮らしてきたから、みんな僕のことを心臓に毛が生えていると思っているみたいだが、実はそこまでではなく、心臓には産毛程度しか生えていない(産毛生えてるだけで十分という説もある)。経験上、多くは歓迎される。なので、安心なされよ、俺。と自分に言い聞かせる。そうだ、きっと大丈夫。
そして、到着。
徐耀良茶園。
東方美人茶の農家としては、(きっと)誰もが名前を聞いたことのある有名なお茶農家だ。(ごめんなさい。少なくても僕は半年前まで知らなかった・・・)
みなさんの反応は・・・・・
よくきたね~
的な。いやはや、さっきまの緊張がほどけて、思わずおならが出そうである。
徐さんの茶園では、お父さん(老板)が総監督。息子さんの維伸くんが製造、娘さんの碧苓さんが販売。それに加えて製造には、阿ゴンスーと小呉くんの2人。販売に、奶茶(本名が分からん・・・・)。
そして、ありがたいことに寝る部屋を案内された。東方美人に限らず、台湾の烏龍茶農家は夜通し作業が行われるため、住み込みで働く人もいるのだろう。工場の中に1室もしくは2室そんな部屋があり、その一つがちょうど空いてるということで、割り当ててくれたのだ。感謝。そして、僕の持参したテントは不要となった(7kg以内の荷物でテントとエアマット(下に敷くやつ)は相当のウェイトを占めるので、不要になったことはちょっとショックだったりもする。いや、部屋には感謝ですけどね!)
天気は幸い晴れ。さすが自称晴れ男の僕である。
さぁさぁ働くぜ~と思ってたら、ごはんだよ、とのこと。
11時。やや早めのごはん。2回目のお茶が到着する前に通常昼ご飯を食べる習慣らしい。
僕はコンビニで買ったおにぎりを食べるから大丈夫、と言ったが、いいから食べたらいい、とのこと。冷蔵庫にとりあえずおにぎりは入れたらいいと。
さて困った。というのも、先述のとおり、胃が痛くて、そのダメージは完全には抜けていない。ようやくワンタンをすすったのが1時間前。普通におなかがすいていないのと、コンビニで「温めますか?」と言われて、なんのことか理解できなかったので「はい」って答えたら、封を開けて温められてしまったのである。封を切られた状態のおにぎりが冷蔵庫に入ったらさぞかしパサパサになるだろうと容易に想像できた。
まぁ、ごはんを勧められたら食べるべき、は万国共通のならわしだと思い込んでいる僕は、とりあえずありがたくお昼ご飯をいただいた。
台湾のごはんスタイルは、まんなかに数種類のおかずがドーンと並び、各自は茶碗をとりご飯をよそう。取り皿も基本使わず、ごはんの上におかずをのせて食べるので、洗い物は最小限で済む。一人一人配膳もしないので、合理的。中華料理屋で見かけるターンテーブルはまさに便利。これならば、客人が一人二人増えようが、それほどの負担にならない。こちらとしても、気楽で助かる。ただ、誰がどのおかずを欲しいかと空気を読みながらターンテーブルを回す気遣いのみが必要だ。取ろうとした瞬間にターンテーブルをまわすことで兄弟喧嘩が生じるのはきっと台湾あるあるに違いないと勝手に思った。
さて、仕事は、昼番と夜番ではっきり分かれるそうだ。24時間体制で毎日お茶を作り続ける。
僕は「大丈夫。僕は寝なくていいです」って答えたら爆笑された。ジャパニーズジョークと思われたらしい。半分ジョークで、半分本気。3日間、この3晩を通して、最大限の経験値を得るには寝ている場合ではないのである。ただ、とはいっても、一睡もしないのはさすがに無理なので、虚勢をはったといえばそうであるが、気持ちとして寝るのは最小限に留めたい。
そうこうしているうちにお茶が運び込まれた。
お茶は一日3回運び込まれる。
朝9時。昼12時。そして15時。それぞれ10~15キロくらいか。手摘みで、しかも、とにかく芽が小さいので、これだけ集めるだけでも、大変なことだ。一体何人の人が、何時間かけて摘んできたのだろうか。
ちなみに、日本で一番茶を「機械」で摘む場合、10~15kg摘むのはたった5分(いや、もっと短いかも)。日本の手摘みでも、こんなに小さい芽は摘まない。この小さい芽を摘むのは、相当の労力が必要である。
お茶を、大型のザル(カレイという)に薄く広げる。地面に置いたザルに、1mくらいの高さかパラパラと撒く。
たった10~15キロのお茶だが、すごく薄く広げるので、大型のザルは50枚近く使用することになる。
このパラパラと薄く撒く、たわいもない動作だが、やってみるといかに難しいかがわかる。綺麗に、万遍なく薄く撒けない。どうしても、厚く重なってしまったりする。
たわいもなく見れる所作が、やってみると実に難易度が高いことを、他の作業でもよく知ることになる。やはり熟練の技はすごい。僕がやると3倍くらい時間がかかる。
日に干す時間(日干萎凋という)は、全く決まっていない。天気もあるし、気温もあるし、芽の様子もあるし。すべて経験と感覚に基づく。どんな状態で日干が完了するのかつぶさに観察するが、とにかく熱い・・・持参した温度計は40℃をさしている。暑いわけだ。日陰でも35℃以上。台湾の暑さは日本の比ではない。侮っていたぜ台湾の夏。
ともに作業する阿ゴンスーは御年60~70歳。裸足がトレードマークだ。具体的な年齢は、聞き取れないからわからないわけです、えっへん。
思えばこのコロナの3年間。台湾に行けない僕は、今できることは何か?考えました。そして中国語の勉強をかかげ、ラジオ講座とyoutubeでの勉強に明け暮れました(とはいっても、学生時代とは違って、ユルユルの勉強であることは確か)。途中、中国語検定やToeic中国版みたいな試験を受けたりしましたが、そんなこともあったなぁくらいの遠い記憶となりつつあります(要は試験は挫折)。草取りしながら中国語を聞き、お茶詰めしながら中国語を聞く日々。勉強時間としては長いものの、机に向かってコツコツと勉強してない僕の中国語の成長はいかに!
この3年間の結果がまさに今回滞在で試されたわけです。
結果
ダメだ・・・じぇんじぇん分かんない・・・・
絶望にひざまずく自分・・・
いや、言い訳はたくさんあります。まず、早口そして、方言。ここ、新竹の北甫や峨美は、あとから大陸からやってきた客家(はっか)の人たちが多く暮らす地域です。実際、客家語という言葉も使われています。なので、客家語を使われても全然分からないのは当然なのです!なので、年配の方の言葉には客家語がふんだんに使用されており、う~ん、ふんだんに使われているのかどうかもよくわかんないけど、きっと使われているに違いない!ただ、若者で台南出身の小呉くんは話を理解していたところをみると、もしかしたら客家語ではないのかもしれない(小呉くんは客家語はわからないはず)・・・・
阿ゴンスーはいつもニコニコして愛想のよいおじいちゃんです。親し気にいろいろ話かけてくれます。ただ、言葉が分からない・・・・
老板(ラオバン)の言葉も、同様に分からない・・・
娘の碧苓は実は日本語が堪能です。日本に留学していたことがあるから。というわけで、いざとなったらという安心感はあるものの、基本彼女は販売作業に徹しており、製造の場にもっぱら集中する僕は結局中国語に揉まれに揉まれるしかないわけです。
それでも、3年の進歩はなかったわけではなく、基本言っていることはわかんないけど、伝えたいことはかろうじて伝わるという進歩も見られました。
これは、日常的に、漢字を見ると中国語読みが気になるという、妙な癖ができたおかげかもしれません。ただ、日本語読みを忘れます。それなのに、自分の名前をいまだ発音できません。アメリカでもヨーロッパでもアフリカでもUnoなのに、なぜか中国語ではyu-ie(しかもyu-がめっちゃムズイ)という響きになってしまうこの不思議。絶対呼ばれても反応できませんって。
さて、作業に話は戻る。
屋外の日干萎凋を終えた茶葉は、屋上に移動される。屋上といっても、透明な屋根がついており、ハウスといった環境。ここもめっちゃ暑い。そこで数時間。これまた時間は2時間から8時間までいろいろだ。遮光ネットはかなりこまめに広げたり閉めたりする。
日干萎凋を終えると室内萎凋にうつる。ここからは、1時間ないし2時間ごとに攪拌作業が入ってくる。ただ、量自体は少ないので、1度の攪拌作業自体はそれほど大変ではない。カレイの枚数も攪拌作業のたびにどんどん減らす。包種茶の、80枚のカレイをひたすら攪拌、よりはかなり楽。けれど、朝昼晩の3回収穫する関係で、タイミングの微妙にずれた攪拌作業が、夜どおし頻繁に入ってくる。作業目白押し。包種茶は、うまくいけば2時間くらい仮眠できるタイミングがあったが、東方美人は、その空き時間がホントに少なく、寝れて1時間。予想以上に過酷なのである。
寝なくても大丈夫!と昼に豪語していたにも関わらず、初日にしてめっちゃ眠たい。どうなる、あと3晩。
夜は跡継ぎの維伸との作業だ。なんと彼、13歳から東方美人を揉んでいるという。もはや東方美人の申し子である。炒青、揉捻のときのお茶の手さばきがめちゃくちゃプロ級であり、その流れるような作業に思わず見とれてしまう。いや、マジであの俊敏な動きは美しいとすら思える。
試しに、ちょっとやらせてもらったが、びっくりするくらい手に負えなかった。僕の動きは醜いだけだった。そんなこんなで、夜が明ける。